【次の仕事探そ・・。】あなたの仕事の適正を見極める前に必要な事
【仕事辞めたい】あなたの仕事の適正を見極める前に必要な事
自分にその「業種の適正」があるのだろうか?と悩んでいませんか?
仕事を始めてから数ヶ月が経ち数年が経って「他に自分に合っている仕事があるんじゃないか?」と考え始めていませんか?
また、これから就職活動や転職を行う人達も「自分に適性の合った仕事がしたい」と思っているのでは?
では「業種の適正」って何でしょうか?考えてみた事あるでしょうか?
例えば「体力には自信がある」「暗算には自信がある」「パソコンや機械には自信がある」など。
「自信がある」が「適正」なのでしょうか?
他にも「人と話す事が好き」「体を動かす事が好き」「機械いじりが好き」など。
「好きな事」が「適正」なのでしょうか?
確かに「業種」というカテゴリで、この「適正」という言葉は「人を惑わす」言葉ですよね。
「業種に適性がある」から「人生の安泰」「楽しい毎日」「楽して生きてける」と思いたいです。
しかし「業種の適正より職場の適正が大事なのでは・・?」
「どうして職場の適正が大事なの?」
まず私達にとって「仕事」とは何でしょうか?普通に考えて「収入を得る」事です。
「収入を得る」事とは「お金になる事をする」⇒「利益を生み出す」⇒「仕事の対価を得る」です。
この仕組みはどんな仕事にも当てはまる事ではないでしょうか?
更に言えば「仕事の対価を得る」⇒「生活が豊かになる」です。
では「業種の適正」って「お金になる事をする」時の「何を生業とするのか?」の部分だけに当てはまる事ですよね?
では「適正がある仕事」に就けたとしても「利益が低かったら?」どうなります?
当然「仕事の対価も低い」ですよね。
つまり「生活が豊かになりづらい」ということです。
さてここで問題です!あなたは「適正のある仕事」に就けたとして「収入が低くても納得できますか?」
殆どの人が「初めから収入低いって分かってる仕事に就くわけないじゃない。」と言うでしょう。
では「業種の適正」「納得した収入」「豊かな生活」が揃ってないと「魅力的」ではないということでしょうか?
そうなると条件が3つになるので「職種が限られる」のでは?
「職種が限られる」ということは「適正」の幅も狭くなるという事になります。
つまり最初から「適正で仕事を選ぶ」事そのものが「生活を豊かにする」事に直結していない事になりませんか?
更に考えるなら就職や転職をすることは「職に就く」⇒「雇用される」⇒「職場で働く」なのでそもそも「職場で働く」事自体に「適正」があるのかを考えなければなりません。
「職場で働く」基本的な内容としては「先人達の輪の中に入る」⇒「仕事を学ぶ」⇒「仕事を遂行する」です。
「先人達の輪の中に入る」とは?
「職場」とは必ず「役職」や「担当」といった「区別」される場所です。
入社したての頃は「○○担当」からスタートし実績を積み重ねて、初めて「役職」が与えられます。
また、「部」や「課」または「係」という枠で「配属」が決められます。
これらの定義の中で同じ職場に勤める「大勢の人達の中に入る」という事が一体どういうことなのか?を考えなければなりません。
当然「先輩」や「上司」から「指示」や「命令」されますし「指導」や「お叱り」を受ける事もあるでしょう。つまり「他人と関わらなければならない」ということです。
他人と関わる為には当然「コミュニケーション能力」が必要となります。
そして仕事には必ず「顧客」や「お客様」といった「相手」が存在します。
その「相手」に対しても「コミュニケーション能力」が必要となります。
では「コミュニケーション能力」って何?学生時代に習ったっけ?と過去を思い返しているでしょうが少なくとも大学の「心理学」などの専門分野に身を置いていなければ正式に学べるものではありません。
つまり一般的には「学生時代の集団生活での経験」が「コミュニケーション能力の元」となっていると言っても過言ではないのです。
ということは一概には言えませんが「そもそも職場で働く準備が出来ていない」人達が大多数なのではないでしょうか?
学生時代の「コミュニケーション」と職場の「コミュニケーション」ではそれぞれの「基準や価値観」が違います。
例えば学生時代は「仲間との交流」と「指導者との交流」が主軸となりますが「仲間との交流」では文字通り対象が「仲間」なので「仲の良い人達」または「クラスや部活・サークル」といった環境下での「対応手段」さえ持っていれば「コミュニケーションに困る」事がありません。
では対象が「仲間」だと何故「コミュニケーションに困らない」のか?
それは「相手を選べる」「利益の損害が無い」からです。
苦手な人や嫌いな人、何らかの損害が生じる人とは関わらないように出来るからです。
対象が「指導者」の場合は「自分の評価」が関わってきますが、職業が学生ですから「成績」さえ安定していれば何も問題視する事はありません。
では「職場の交流」はどうでしょうか?
「苦手で嫌いな人がいても毎日顔を合わせなければならない」「苦手で嫌いな人だとしても業務上会話をしなければならない」「苦手で嫌いな人でも何かをお願いしなければいけない」場面が必ずあります。
また「全てが自分の評価や利益に直結する」のが職場です。
「あの人は苦手だから・・・。」といって業務がスムーズに進まないと「会社に損害を出す」事に繋がり「自分の評価が下がる」事に繋がり「収入が上がらない」に繋がります。
最終的に「生活が向上しない」事に直結します。
それだけではなく「ストレスをため込む」事に繋がり「体調の悪化」や「精神的苦痛」挙句の果てには「うつ病」にもなりかねません。
つまり「苦手で嫌いな人でもコミュニケーションが取れる」ようになっておく事が
「職場で働く為に必要な適正」だと言えます。
「仕事を学ぶ」とは?
初めての職場でまずやるべきことは「仕事を学ぶ」事です。
出来る限り最短で「即戦力」となれる様に先人たちの期待に応えていかなければなりません。
しかし「学生時代」の様に「教育免許」を持つ人が指導してくれる訳ではありません。
また「教育プログラム」など用意されている保証もありません。
そして「戦力にならない」と判断された時点で突き放されます。
優しく一つずつ教えてくれるだろうと思っているのなら、大間違いです。
本音はこうです・・。「これで仕事を押し付ければ自分の仕事が楽になる・・。」
人間は「楽になる選択」を好みます。「自分でやるより人にやらせた方が楽だ・・。」と考えるのは当然の思考です。
また、学ぶ者も指導者が適当な対応で仕事を指導していたら「他人の責任」にし「逆恨み」するものです。
「そんなの学歴も教養も無い低レベルな人間のする事でしょ?」と思っている人は考えを改めた方が良いでしょう。
どちらにせよ「仕事を学ぶ」時は徹底的に「聞く」「資料作成」「上司への状況報告」を行う事です。
指導者の指導者としての責務をないがしろにさせないように、こちらから「先手」を打ってしまう事です。
「仕事を学ぶ」時に最も避けなければならない事は「一つでも疑問を残さない」事です。
いずれにしろ「学んだ仕事」は「引き継がれる」事が最初から決まっているからです。
引継ぎが完了したと判断された時点で「放置」されます。
問題はその後も定期的に状況確認が行われるかどうかです。
なので基本的には最悪のケースを考えて「まともに教えてくれない」「いつ放置されるか分からない」「経過観察も行われない」と思って「回避方法」を考えておきましょう。
「指導者がどんなに好印象でも決して油断してはいけません。」
その指導者はその職場で生き残っていく為に必要な「キーパーソン」だという事を自覚しておきましょう。
これらの事を踏まえた上で「仕事を学ぶ」のに必要となる「適正」は
「しつこく聞く能力」です。
とにかく「疑問」があったらその都度「聞きに行く」事です。
指導者に罵倒されても「しつこく聞きに行く」事です。決して諦めてはいけません。
ポイントは「一度聞いた事は出来る様にする」事です。
どんなに馬鹿にされてもその結果「仕事が出来る」様になれば「あなたの勝ち」です。
いずれ、そのしつこい行動は「高評価」されるでしょう。
「仕事を遂行する」とは?
学んだ仕事を毎日行っていく中で大事な事は「段取り」や「計画」ではないでしょうか。
学んだ事は「仕事の基礎」であってそれをどの様にこなすのかは人それぞれです。
製造職であれば「作り方」を学びどうすれば「今まで以上に早く簡単に多く作れるか」を考えていかなければなりません。
営業職であれば「売り込む商品やサービスの内容」を学びどうすれば「顧客を増やせるか」を考えていかなければなりません。
その方法は決して誰かが教えてくれるものではありません。
「自己流」で生み出していくものです。
ただただ学んだ仕事を繰り返していたり、言われた事だけをやっていたりしているのではそれは「人間が受け持つ仕事ではない」という事です。
「機械やロボットでは出来ない事」を求められているから「人間が受け持つ」のです。
そこには「クリエイティブな発想」が必要となり「仕事の面白さ」があるのです。
しかし「仕事」の捉え方も人それぞれですから「指示された事をやっていれば文句無いでしょ?」とか「出勤して8時間の間、何かやってれば給料貰えるんだから」などと最初から「仕事」をその程度の事としか捉えていない人達もいます。
しかし「職場」である以上、立場上「責務」を全うしなければならない人達がいるのです。それが「役職」を与えられた人達です。
「係長」「課長」「部長」などの「役職」を抱えている人達にとっては
「使えない部下はいらない」と誰もが思っている事でしょう。
つまり「常に評価されている」のです。
確かに業務上、支障が無ければ指示待ち社員で問題はありませんし、わざわざ自分から仕事を増やす事もありません。
しかし評価する人達にとっては「付加価値が無い人」となります。
当然、「付加価値が無い人」は「リストラ」や「人事異動」の対象となります。
つまり「職場」とは「常に向上し続けなければならない場所」という事です。
決して「特別な存在」になれという訳ではありません。
その職場のニーズに応えられる思考を持ち続ける事が大切だという事ではないでしょうか。
与えられた仕事に対して職場が必要としている存在がどんなものなのかを常に考えていれば、それほど難しい事ではありません。
根本的には「やる気」が有るか無いかです。頭では理解しているが「面倒くさい」とか「楽がしたい」気持ちがある限り自分の中で「境目」を作りだしてしまいます。
その「境目」を超えることに「仕事の面白さ」があり「人生の面白さ」に繋がっていくのではないでしょうか。
毎日20人を見て分かった仕事の出来ない人達が気付かずに出しているサイン
さて、このページでは「仕事が合わない」や「仕事の適正」などの疑問について考えてみましたが「業種別の適正」を追い求める前に「職場」そのものに適正がなければどんなに「適正がある業種」に就いたとしてもストレスを抱えてしまう根本に視点を向けています。
そして筆者自身が「職場」の中で「仕事の出来ない人達」が「気付かずに出しているサイン」をどの様に見極めているのかを紹介してみたいと思います。
毎日20人の作業者を見て分かった事、仕事が出来る人と出来ない人は何が違うのか?
筆者自身が「製造業」を生業としていた時に正社員、パート社員、派遣社員の20人との毎日を過ごす中で「仕事が出来ない人」に感じていた事を紹介します。
人の話を聞いているだけの人
愛想よく人の話を聞くだけなのか、会話の中で仕事の要点を聞き直して頭にインプットしているか会話の時だけ真剣に相手の話を聞くふりをしているか、話している人はそんなことを感じながら相手のレベルを探ってしまうものです。
あなたは話を聞いている時、何を考えていますか?
良く思われたい。
優秀だと思われたい。
信用されたい。
無意識にそんな事を思ってしまっていませんか?
その反応はNGです。
話している人は気付いています。
自信の無さを埋める為のフェイクだと勘づきます。
そしてあなたは少し信用や期待を失うでしょう。
会話の中にリアクションなどはいりません。
素直に聞き、疑問があれば質問し、理解する事です。
それだけで話している相手に安心感を与えます。
ですが、本当に大事な事は「聞いた事を確実に実行する」事です。
それ以外は何もありません。
仕事と人権が混同している人(対価の価値観)
そもそも学校と会社を同じ感覚で捉えている人がいます。
自分の仕事が最終的に「どのようにお金になっているのか?」を理解していません。
理解しているつもりでも「仕事さえしていれば時給がもらえる」と勘違いしています。
確かに法律で最低賃金が定められていますし会社も支払う義務があります。
ですが、いつまでも学生感覚でいる間は「人生も学生時代で止まっている」のと同じです。
人生100年時代、たかだか20年も無い学生期間と社会人になってからの期間のどちらが大事でしょうか?
いつまでも「してもらう」ではなく「自ら行動する」という姿勢にならない限り「人生は止まったまま。」だということに気付いていません。
そして、そんな「止まったままの人」が自分の人権を強く主張してきます。
「あっちの人は○○なのに、どうして自分は違うの?」という事ばかり考えます。
「自分もあっちの人と同じ待遇にしろ」と言ってきます。
こんな人は仕事に来ているのではなく「会社に依存」しているただの「給料泥棒」です。
はっきり言っていくらでも変わりがいるのです。
そもそも会社は誰かを尊重したり平等な待遇を与える所ではありません。
純粋に利益を求め、利益に見合った「対価」を支給するだけです。
ああだこうだと言う前に「利益」に繋がる仕事をしてほしいですよね。
自己主張が強い人(自分は出来ると勘違いしている)
自分の仕事にプライドを持つことは良い事だと思いますが、勢い余って他人の仕事の出来に口出ししたり、担当以外の仕事にケチをつけたりする人がいます。
でも本当に仕事が出来ているのでしょうか?
まわりの人達からは「間違っている」を指摘したところで「認めない」し「改善しない」し逆に睨まれて「面倒くさい」と思われていることでしょう。
「関わると面倒くさい」から「本人に分からないように直しておこう」と結局誰かの
「重荷」になっている場合が多いです。
本当に仕事が出来る人から見れば「仕事は出来て当たり前」で「自慢する事では無い」し「もっと難しい仕事はいくらでもある」事を知っています。
出来る人は口ではなく「結果」で語ります。
また、せっかく「結果」を出しているのに「自分は出来る」的な口調や態度をわざわざ出している人もいます。
そんな人も結局まわりからは「扱いづらい」とか「プライド高そう」とか「出来れば関わりたくない」と思われている場合が殆んどです。
本当に仕事が出来る人は「とても良い商品」でも「宣伝広告」がダメすぎて「ブランド化」されない事の「重大さ」を知っています。
同じ仕事が出来るのなら「仕事以外の評価をされる」事を知っているからです。
「喋る人ほど要注意」ですね。
自分と他人の比較の仕方が間違っている人
「身の程を知る」という言葉があります。
シンプルに「高卒」と「大卒」という比較をしてみて下さい。
例えば高卒は「大学に行く必要性を感じなかった人」または「大学に行く為の勉強をしなかった人」大卒は「大学に行く為に勉学に勤めた人」または「専門知識を習得した人」この様にシンプルに比較したとします。
しかしその内容は「天と地の差」があります。
仕事での書類の作成や顧客との会話などで「言葉の知識・使い方」に違いがあります。
これは「教養」に繋がり誰が見ても安心できる「人材」となる訳です。
営業や企画のプレゼンテーションなどは「企業の顔」になるので「大卒」が好まれます。当然与えられる仕事の内容から報酬まで「高卒」では到底歯が立ちません。
そして「学歴」はあらゆる面で人生を左右する「判断材料」となります。
従業員の大半が「高卒」の中で稀に「大卒」がいたとします。
「高卒」の殆どは「自分と変わらない」と思っているでしょうが「大間違い」です。
「社会人としてのスタートライン」が既に違うのです。
「世間知らず」な人ほど自分と他人を常に比較し「人の上げ足を取る」様な事ばかり言っているものです。
「世間知らず」とは「教養」が無く「学」が無く「節度」もありません。
常に「自分よがり」なものです。
他人の事ばかり気にしている暇があったら「身の程を知る」努力をしましょう。
たとえ「高卒」であっても「身の程を知る」事が出来る人は常に「自分には何が足りないのか?」を気にするものです。
そして足りないものを補うための努力を惜しみません。
だから「仕事が出来る」のです。
「仕事が出来る」から「チャンスを掴む」事が出来るのです。
「身の程を知る」 常に意識しておきたい言葉です。
マイペースな人(時間配分が出来ない)
周りの人達の仕事の進み具合がどのくらいの期間・時間で行われているのかを気にしていない人はどんなにやる気があっても結局は「お荷物」になってしまいます。
まさに「足を引っ張る」存在だからです。
どうすれば「仕事が早くなるか?」を考えていてたとしても実行しようとしなければ意味がありません。
会社という組織は多人数の労働力で動いているのです。
マイペースは「他人との協調性」が欠けていると言っても過言ではありません。
「そんなの人それぞれの個性でしょ?」と思っているかもしれませんが会社という組織から見れば「その個性は会社にとってどんなメリットがあるの?」となる訳です。
雇用されているのですから最低限、会社の「和を乱す」事がないように務めてほしいですよね。
「職場」とは「雇用されている人達」に与えられた「場」なのですから職場の状況が忙しい時は「状況に見合った働き方」があるはずですよね。
予定や計画を見ない人
仕事には必ず「計画」がつきものです。
計画性のない仕事などありません。
計画を気にしていない人は「私は指示待ち人間です」と言っているのと同じです。
毎回次の仕事を教えてもらわないと動きたくないのです。
では指示さえすればどんな事でも実行するのですか?
「毎月最低○○円の利益を出しなさい」と指示を受けたら出来るのでしょうか?
きっと「それは私の仕事ではない」と開き直るでしょう。
「自分の責任範囲」ではないと主張するでしょう。
ですが、そもそも自分の責任を他人に押し付けようとしているから「指示待ち人間」なのでは?そして「他人に責任を押し付けた責任」をどう取るのでしょう?
「計画をたてる」事や「計画を見直す」事はそんな「指示待ち人間」ほどしっかりやらなければいけません。何故なら「仕事を効率良く進められる」からです。
自分に自信が無かったり、責任を持ちたくないのであればしっかりと「仕事の計画」をたてて「自分に被が無い」ようにするべきではないでしょうか?
「自らやるべき事を見つけようとしない人」はそもそも「仕事する気が無い人」と一緒ですよね。
常にイライラしている人
そもそも自分の生活そのものにストレスがあるからイライラしているのではないでしょうか?
「私情を職場に持ち込んでいる人」ということになります。
つまり「自己管理が出来ない人」ということではないでしょうか?
自己管理が出来ていない人は「他人に被がある」という思い込みが強いです。
「あの人がこうだから」とか「○○してくれない」からとか言っています。
「それが当り前」に気付いていません。
いつまでも「自分が正しい」と勘違いしている人が多いです。
まだ世間に甘えている事に気付いていません。
いつまでたっても「自立」出来ないのです。
言うまでもなく「弱い人」です。
「弱い人」だから「強い人」に見られたいのです。
だからいつも「威張っている」「威勢が良い」「ビックマウス」なのです。
「自分の器」が小さい事をわざわざ「威張りながら」公表しているようなものです。
こんな人は「人の話を聞かない」ですし「言う事も聞かない」です。
「最後通告」を聞いて初めて気が付きます。
「最後通告」を聞いて「身を正す」事が出来たらまだ見込みありです。
イライラしている間は「幸」を逃し、更にイライラする事でしょう。
イライラのスパイラルが繰り返されるだけです。
何故、自分はいつもイライラしているのか素直に自分と向き合っていないからですよね?
これもまた「身の程を知る」事ではないでしょうか?
自分の役目を理解しても責任感が無い人
仕事はするが「期日までに間に合うかは別の話」的な考え方をする人がいます。
また、「完成するか、しないかは別の話」的な考え方もしかりです。
確かに仕事の内容によってはそうかもしれません。
しかし他の人が出来ていたら、その考え方は無効です。
前例があるので「出来ないかもしれない」はありません。
仕事の出来ない人達は「責任」という意味を誤解している人達が多いです。
この世に「責任が伴わない事」は何一つありません。
死ぬまで全て自己責任です。
仕事においてはアルバイトであってもパートであっても派遣社員であっても必ず
「責任」が伴うのです。
例え仕事の内容がどんなに簡単な事であっても「責任」が伴うのです。
「責任」=損害賠償される可能性がある・・と勘違いしているのでしょう。
真面目に仕事に準じていれば例え失敗したとしても「損害賠償」などされません。
常識の範囲を超えて身勝手な行動で会社に損益を与えた時に「損害賠償」となるのです。
そもそも仕事の内容は会社が個人に教育してから行うという事が前提にあるのです。
ですから教育を受けてその結果が悪かったとしても「責任」が個人に向けられることはありません。
また、「責任」という言葉を盾にして「楽をしようとしている」のではないでしょうか?
そんな人は絶対に良い人生にはなりません。
何故なら「責任」を理由に「チャンス」を自ら拒絶しているのですから・・。
いつまでたっても「チャンス」を掴む事が出来ないのです。
どんなに簡単な仕事でも「責任」を感じて全うしてほしいものですね。
仕事が出来ない人の特徴まとめ
・人の話を聞いているだけの人
・仕事と人権が混同している人
・自己主張が強い人
・自分と他人の比較の仕方が間違っている人
・マイペースな人(時間配分が出来ない)
・予定や計画を見ない人
・常にイライラしている人
・自分の役目を理解しても責任感が無い人
これらに当てはまる人と接している場合は注意が必要でしょう。
また、自分自身にも当てはまる人は周りの人達からどんなふうに見られているのかよく理解して直していきましょう。
人間は行動とは別に頭の中で心に直結した思考を働かせます。
例えば車の運転をしながら別の事を考えていたり、仕事をしながら別の事を考えていたりします。
「仕事が出来ない人」は常に「他人の事」を考えているものです。
「あの人が○○だから面倒くさい事になるんだ」とか「あの人が○○なのは気に入らない」とか「他人の事」ばかり考えて「ストレスを作り出している」ものです。
まず「人の心は簡単には変わらない」「他人の心は特に変えられない」事を「肝に銘じる」事です。
いつまでも「あの人がもっと○○だったら」とか「あの人はもっと○○するべきだ」とか現実にはありえない事を常に妄想し「常に自分の思い通りになる」事を妄想している間は「リアルでは無い」「妄想の中の人生」でしかありません。
そんな事よりも「今現実に起こっている」リアルな物事に「頭の中をシフト」していきましょう。
それが出来る人が「仕事の出来る人」です。
あなたにとって他人は物事を進める中でたまたま登場してくる「登場人物」でしかありません。
物事(ストーリー)が進んでいく中で「たまたま登場してきた人物」なのです。
例えば仕事を進めていく中で「他人が原因で進行が遅れている」とします。
あなたにも当てはまる事が無いか自問自答してみましょう。
たとえ当てはまる事があっても良いのです。
「自分にもこんなところあるかも・・。」と分かっているのなら「職場ではバレない」様にすれば良いのです。
「職場ではバレない」様に「意識」する事でその事が「改善」されていくでしょう。
気が付いたら「あれ?以前の自分とは違うかも?」と成長していることに「喜び」を感じているのではないでしょうか?
その「喜び」が「自信」となれば、たとえ仕事が出来ない人の特徴を2つ3つ持っていたとしても「自分の努力で直していける」様になります。
そして「職場の適正」が全て備わった時、あなたには「どんな業種に就いても成功できる自信」があるのではないでしょうか?
そうなれば「仕事が辛い」だけではなく「仕事の面白さ」に気が付けるはずです。
確かに「楽な仕事」などありませんが「仕事の面白さ」も理解出来る事で人生に充実感が加わります。
その充実感があなたの人生を良い方向に向かわせてくれるのは言うまでもない事です。
その「充実感」を最大の味方に付ける事が出来たら「嫌な事も苦とは思わなくなる」でしょう。
「苦」が無くなれば怖いものが無くなり「ただ自分の成長に酔いしれる」だけです。
そうなれば「無敵」です。
後は「人生を楽しむだけ」ですね。